はじめに
私は世の中は関係性の中で成り立っていると考えています。つまり、相手があるから自分が存在し、自分がいるから相手も存在し、その関係性が双方にとって快いために、その関係も継続される。そんな感じです。
今日は、この関係に関して普段考えていることをメモっておきます。
物体と関係は同時に発生する
存在と関係を考え出すと、鶏 と 卵の話のようにどっちが先かな?と思うことがありますが、決定的に違う点に気づきます。それは、存在と関係は同時に発生するという点です。
例えば、この広い宇宙に星すら存在せず、ただ自分一人だけが存在したとした場合、自分という存在を自分は認識することができますが、自分を認識してくれる他人がいないため、自分は存在していないことと変わりありません。
例えば、生まれたばかりの赤ちゃんを宇宙空間で一人だけにして、そのまますくすくと成長させていった場合、もしかしたら時たま目に映る自分の手や足を、自分の物として認識することもできないかもしれません。触覚が育てばできるかもしれませんが。
一方で、そんな赤ちゃん、もしくは成長した大人たる赤ちゃんも、目の前に鏡を置いてあげるとようやく鏡を通して自分の姿かたちを認識し、たまに目の前に映るこの物体が自分の体の一部だったのかと認識することができるようになるんだと思います。
つまり、人は他者、ここでは鏡ですが、を通してしか自分を正確に認識できない可能性が高いということです。
この鏡を別のもう一人の人にした場合、多少違いそうですが、おおむね同じようなことが起きそうだと考えられます。つまり、相手が自分の存在を認めてくれることで、初めて自分の存在が意味を持ち、相手の姿かたちを見て自分の姿かたちを理解していくことができる。
つまり、相手が存在した瞬間に関係が構築されお互いの存在が意味を持ちだしている。そう考えることができると思います。
ここで注意が必要なのは、関係から始まる存在はなさそうなので、関係よりも先に存在があるのではないか?という疑問ですが、これに関してはやはりそうではなく、関係と存在は同時に発生します。
これは、対象が人でなく、単なる物体だとしたほうがより分かりやすいと思います。物体が宇宙空間に一つしかなかった場合、自分の位置を決めるための基準となるものが存在しないため、物体の位置は時間の経過とともに変わっているとも、変わっていないとも言えませんが、物体が二つになった瞬間に相対的な位置関係が生まれるため、それを基準にお互いの位置がずれたかどうかを確認することができるようになります。
そのため、存在と関係は同時に発生すると考えられ、存在に先んじて関係が、関係に先んじて存在がという話にはなりません。
変わらないためには変わらなければならない
世の中にはいろいろな関係が存在します。人間関係は言うに及ばず、ビジネスマンとしては、マーケットにおける自社の位置づけ、競合他社との関係などなど、そこに何かが存在するからには必ず関係が存在します。
ビジネスの世界ではよく耳にすることですが、マーケット、つまり人々が欲しいと思うものは常に移ろい、複数の競合他社がより良いポジショニングを得ようと、日々、マーケットの声に耳を傾け、自分たちはどうしたらより大きな利益を上げられるのかを血眼になって考えています。
なぜか?マーケットとの関係において、マーケットが変わっていくのに合わせて自分たちも変わっていかないと、結果的にマーケットと自分たちの相対的な関係は変化してしまい、今までの様には商売ができなくなり、今までのようには利益を上げられなくなってしまうからです。
一方で、人間関係はどうでしょうか?
私が今持っている答えは、人間関係もばっちりこれが当てはまるということです。
一般的な例を出すと親子関係でしょうか。子供が生まれたばかりの頃はもちろん何もできないので、すべて親のコントロールのもとで日常生活が組み立てられます。しかし、時を経て、自分でできることが増えるに従い、少しずつ親の世界から抜け出していき、自分の世界を築くようになります。反抗期を経て、親離れ、子離れするのがこのころだと思います。
その後、少しずつ社会に出る準備をして、最終的に自分だけの世界を作り上げます。この過程で、親から見た自分と子供の関係と、子供から見た自分と親との関係の認識に齟齬が発生しやすいのが、いわゆる反抗期や、思春期なんだろうなと思います。
この関係性の変化は親子間だけではなく、友人関係、異性関係すべてのことに当てはまります。昔はあんなに気の合う仲の良い友達で一生の友達になるんだろうなと思った友人でさえ、その後の環境の変化が個人に影響し、個人同士が少しずつ別々の方向へ進むことで、結果的に相対的な位置づけ、つまり、関係に変化が現れ関係自体が続かなくなってしまうことが往々にしてあるだろうと思います。
議論は人間関係の方がよほど難しいのですが、ビジネスのパターンのように物事をよりシンプルに考えると、自分以外をすべて外部環境と考えると、外部環境の変化を自分の思い通りにコントロールすることは不可能なので、外部環境との関係を維持するためには、外部環境の変化を意識しながら自分を変えていかなければなりません。その結果、外部環境と自分の関係が変わらなかった場合、「変わらないために変えることができた」と評価できます。
ここまで書いてきて改めて気づいたことがあります。思考を文字に落とすことの最大のメリットは新しい気付きを自ら得ることができるという点だと常々思いますが、「変わらないためには変わらなければならない」の「変わらないためには」は外部環境との関係が目的語となっており、「 変わらなければならない 」は自分自身が目的語になっているという事実です。
まとめ
だいぶ長くなってしまいましたが、結局今日はこんなことを書きたいと思っていました。
- 世の中は自分と外部環境との関係によって成り立っているため、人間関係を含めた外部環境との関係を維持したければ、外部環境の変化に合わせて自分自身も変わっていかなければならない
- 変化の度合いは人それぞれなので、その結果人間関係に甚大な影響を及ぼすこともありますが、人生で失うことのできないものでない限りは、それはそれと諦めるのもある意味では必要