はじめに
「あきらめる」と言うと、世の中ではあまりポジティブな印象を与えないことが多いですが、私はあきらめが肝心と思うことがよくあります。今日はこれに関して記録しておこうと思います。
一般的なあきらめる
日本ではあきらめるという言葉は、何かをすることを途中でやめてしまうことを意味することが多いと思います。たとえば、パズルを完成させるのをあきらめる、本を読破することをあきらめる、目標貯金額100万円をあきらめる。などなどです。
これに対して、世の中では
「あきらめるな!最後までやり続けろ!!」
と言うたぐいの檄が飛ばされ、本人の意思とは違う力に突き動かされ、当人からしたら拷問のような時間が始まります。
私の思うあきらめる
私はよく「あきらめが肝心」だと思います。特に、自分の能力を超えたことをやろうとした場合、あきらめる必要があると痛感します。あきらめることは幾つかあるのですが、例えばこんな感じです。
- その道で一流になることをあきらめる
- 人よりも短期間で一定のレベルに到達することをあきらめる
- 今の自分の能力では入門レベルになることすらあきらめる
各々少し深堀してみましょう。
一流になることをあきらめる
まぁ、人生こんなことだらけです。特に、私は昔から飽きるのが早いので、一流でやっていることは何一つありません。私にとっての一流は、そのことだけで生計を立てられる人たちの中で、さらに圧倒的なパフォーマンスを発揮し、大きな影響力を持っているという状態です。
例えば、一流の音楽家、スポーツ選手、ビジネスマン、投資家などなど。その業界の誰に聞いても、場合によっては世の中の誰に聞いてもその人のことを知っているような、そんな状態にある人です。
私には全然無理です。何よりもモチベーションがありません。けど、二流、もしくは三流ぐらいの感じでできることは幾つかあると思います。
例えば、最近始めた米国株式投資ですが、これは三流ぐらいにはなっているのではないかなと思います。日本人に占める投資家の割合が10%程度だとして、その中で、わざわざ海外のマーケットで投資している人は、さらにその10%程度だとすると、日本人の人口における割合は1%ほどになります。
同い年の人口をざっくりと120万人と仮定すると、米国株投資をしている同い年は1.2万人です。
この中で、超一流の投資家の方々は個別株や、色々な金融理論、テクノロジーを駆使して、色々と荒稼ぎをされていることと思いますが、私にはそこまでの知識も、技術も熱意もないため、圧倒的に稼いで億万長者になることをあきらめ、勝率が高いがあまり儲からない、しかし手間もかからない方法で、時間をかけて資産を増やす選択をしました。それが、米国市場、高配当(個別、ETF)に定期的に馬鹿みたいに愚直に投資をし、ひたすらそれを持ち続けるという戦略です。
自分の能力、性格、おかれた環境を評価した結果、これが私にとってはベストな投資方法だという結論に至りました。
人よりも時間をかける
人には得手不得手があるので、直ぐにできるようになることもあれば、なかなかできるようにならないこともあります。
私は小さいころからどちらかと言えば要領よくいろいろなことをこなせた方だとは思うのですが、人生のいろいろなフィルタを経るごとに、周囲の人間の基礎能力も上がってくるために、それだけでは立ち行かなくなることが増えてきました。もちろん、周りよりもうまく行くこともたまにはありましたが、それまでに比べて圧倒的に劣ることが増えました。
なので、あきらめました。
自分の能力の大部分は周りのみんなに比べて劣っているので、何をやるにも多くの時間をかける必要があるんだなと悟りました。今でもそうです。IMDで学んだ科目で、予想外に面白いなと思ったのがFinanceだったのですが、成績はいまいちでした。それでもやはり新しいことを学ぶのはとても楽しいので、今でもFinance全般に関して広く本を読み見識を深めています。そのうち仕事の役に立つといいなと思っています。
入門レベルにもにもなれない
これは上の二つとは違って、そもそも土俵に立てないというやつです。人生で新しく始めたことなど五万とあるかと思いますが、そのうちで日本人が人に「あれできるよ。」と言えることってどれぐらいあるのでしょうか?
私は職業柄System Engineerを名乗ることが多いです。一般の人から見るとプログラミングはできる部類に入ると思いますが、中の人から見ると殆ど何もできない人に分類されます。そういう状況がいつまでも続くのもちょっとなぁと思い、何かを始めてみようかと思うものの、モチベーションが足りずにだいたい入門レベルに至らずに終わります。Hello wold!!を出力して満足するぐらいの感じです。
こういう時に私はあきらめます。
色々な理由があって、今はこれを身に着ける時じゃないんだなと思うようにしています。
できることの分布
こうやって振り返ると少し面白い気付きがありました。
なんとなく3つに分類したのですが、やってみたこと、やりたいこと、得意なことなどいろいろとありますが、自分ができること、できないけど過去にトライしたことがあることの総和を100と考えると、おそらく殆どのこと、±2σぐらいはきっと、入門レベルにもなれないもので、のこりの5%は基本的に時間をかけて前向きにやろうと思っていることで、そのうち、一流になることをあきらめたけど、三流ぐらいにはなれていることが5%ぐらいの比率になっているのかもしれません。
つまり、三流ぐらいになれているのは、今までやったことがあることのうちの、5%の5%なので、0.25%ぐらいですかね。私の場合は、この中にかれこれ15年ぐらいやっている投資や、かれこれ30年以上やっているサッカーなどが入っていると考えられるのかもしれません。
まとめ
- 「あきらめる」と言うとネガティブな反応を受けることが多い世の中ですが、それは限りある資源としての時間を有効に配分し、リターンを最大化するためのプロセスだと思うとそんなに悪いことではないと思います
- あきらめることで自分の立ち位置を客観視し、「じゃぁ、どうするか?」を考えることが実は一番大切なんじゃないかと私は思います