はじめに
昨年の秋ぐらいから、週1回ぐらいのペースで、友人のコーチングをしているのですが、その中で、今日大きな学びがあったので、メモしておこうと思います。
更にあがる人とそうでない人の違い
私の勤めている組織だと、部長になるのはなかなか大変なのですが、それでも一つの本部に部室が15程度ある一方で、一つの部室にグループが2、3しかないことを考えると、本部長になるというのは、とても大きなハードルだということがわかります。
外部との人の出入りがないと仮定した場合、部長になる倍率は2、3倍なのに対して、本部長になる倍率は15倍なので、5−7倍ぐらいの開きがあります。また、もちろん、部長になるぐらいの人なので、みなさん一様に仕事はできます。
では、この、15倍の倍率を潜って更にその先に行ける人とそうでない人の違いとは一体何なのか。
この問いに対する答えはここのところずーっと探していたものの、それらしい答えに辿りつかず、そこそこ時間が経っていたと思います。
今日、友人と話をしている中で、これに対する一つの有力な仮説が浮かび上がりました。それは、「学び続けられる人かどうか」と言う点です。
入社初期の若い頃に読んだ本に、「30歳までに成長の傾きをできるだけ上げるべきだ。」みたいなことが書いてあったことを覚えています。
実際、私の成長の傾きはその頃どうだったのかはよくわかりませんが、それなりにしごとをこなし、成果を上げ、IMDにも行かせてもらい、海外拠点の立ち上げから運営まで行ってきたのは、それなりに他の人から認められていたと言う話なのだと思います。
キャリア17年目を終わろうとして、過去を振り返り、周りの人々を見回してみると今ではあまり気がつかなかったものの、一つ大きく変わっていることがあると思います。それは、相変わらず組織の中では歳が下の方なのに、気がついたら、組織の中での役割は上の方になってきていると言う点です。
17年間のキャリアでいろいろな人と関わり合いながらここまできましたが、気がついたら、多くの人とは相対的な立ち位置が逆転し、ほんの一握りの人とだけは相対的な立場が変わらない状況になっています。
サラリーマンは、なぜ、ある時、上に登ることを諦めてしまうのか、それは同じく、なぜファイティングポーズをおろしてしまうのか、と言う問いでもあり、「学び続けられない」と言うのが、これに果たす影響は割と大きいのではないかと思います。
同じ組織に10年も所属していると、いい悪いは別として、自分の戦える領域は初期の頃とは全く別のところに行っていると思います。初めのうちは、領域が変わり、目先が変わることが楽しくもあったのだと思いますが、時間が経ち、歳をとり、だんだんと変化に適応することが難しくなります。
これは、変化に適応するには学習が必要であり、その継続的な学習をし続けられるか、また、この先の変化を予測し、自分が獲得すべきものを先んじて獲得できるか?と言う話でもあり、継続的に学び続けなければならないことを指しています。
これが多くの人にとっては億劫であり、時間の経過とともに、自分の人生から家族の人生・子供の人生を生きる様になり、自分の人生の中心から外れてしまった結果、自己投資をしなくなってしまう。と言うことなのかもしれません。
そう考えると、15倍の倍率を潜り抜け、部長から本部長にあがる人というのは、本部長というステージに求められるものを見定め、また、自分に求められる役割を理解した上で、学び続けられる人なのかもしれない。と、改めて思いました。
まとめ
- 少し青臭い文章ではありますが、なかなか新鮮な気づきだったので、記憶の新しいうちにメモしておきました
- この仮説が正しいのであれば、学び続けることで得られる成長の角度と言うのを高く保ちつつ、確実に一歩づつ歩みを進めていたる高みが、私のサラリーマン双六の到達点なんだろうなと思えてきました。