はじめに
最近は、子供が見るのに合わせて、ドラえもんなどのアニメを見る機会が増えたのですが、その中で、ドラえもん然り、ドラゴンボールしかり、私がアニメを見ていた幼少期よりも、時空の概念が進化していることに気がついたので、メモしておこうと思います。
現実世界ではどうでもいい話だけど、物語を理解する上ではとても重要な時空の概念
自分が選ばなかった未来、つまり、パラレルワールドが存在するのか否か、これは、とても大きな問いだと思いますが、現実世界においては、その答えはないだろうし、あったとしても、私たちには認識できないだろうと思います。
一方で、アニメの世界では、この扱いが明確に異なります。
ドラえもんでは、昔から頻繁にタイムマシーンで過去に行ったり、未来に行ったり、色々としていますが、おそらく、映画版だけでの登場だと思いますが、歴史を変えてしまう可能性があることを過去に戻ってやろうとした場合、タイムパトロールが出てきて厳しく取り締まられます。
つまり、ドラえもんの世界では時の流れは一本であり、パラレルワールドは存在しないことになっています。
一方で、ドラゴンボールでは、一番最初に時を超えたのは、未来のブルマが発明したタイムマシーンを使って、未来のトランクスが過去に戻り、悟空の心臓病を治したシーンだと思います。
これによって、本来死ぬはずだった、悟空が死なずに生き残ってしまったということで、歴史が変わってしまいました。その後も、悟空ブラックとザマスの登場など、いくつかの場面で歴史が変わり、その結果として時の指輪(だったと思いますが)が分裂して、パラレルワールドが出来上がっています。
こう見ると、アニメによって、時空の捉え方が異なっていてとても興味深いです。
ドラえもんでは、未来から来ることが前提となっている過去が存在する。
さて、上記時空に関する考え方が、作品ごとに異なるということを前提とした上で、ドラえもんの話を深掘っていきます。
ドラえもんの世界では、パラレルワールドは存在しないため、時間の流れは必ず一つになります。そのため、それを維持するためにタイムパトロールが存在します。
しかし、タイムパトロールも、未来から来た人間が過去と作用してしまうことを闇雲に禁止しているわけではなく、恐竜の映画でのび太が恐竜と作用するシーンで、タイムパトロールがそれを阻止することで、歴史が変わってしまうため、あえてのび太を制止しなかったシーンが出てきます。
つまり、制止しなかったことで、時間の流れが保たれたことになります。これはつまり、未来人であるはずののび太が、恐竜の住んでいる過去の世界に戻ることを前提に歴史が成立していることになりますが、ちょっとおかしいですよね。最初の1回という概念があったとした場合、最初の1回の恐竜の世界には、未来から戻ってくるのび太がいないので、話が矛盾してしまうと思うのです。
また、もっと有名なストーリーとしては、そもそも、何もなければジャイ子と結婚してなかなか酷い将来を過ごすことになっていたのび太の未来も、のび太の子孫が未来から現れて、それを阻止すべく、ドラえもんを現代に送り込んだというのがドラえもんの始まりなので、最初から未来を変えているのですが、これはどう解釈するといいのでしょうか?ちょと難しいですね。
まとめ
- 作品にケチを付けたくてメモしているわけではないので、どちらが良いとか、矛盾がないとかをいうつもりはないです。
- ただ、特にドラえもんに関しては、当時全然意識もしていなかったところで、難しい時空の概念をうまく子供でもわかるストーリーに仕立てていて、作者の苦労が窺えるなと思いました。
- また、今回は書きませんでしたが、大人になってアニメを見返してみると、割とデリケートなテーマに果敢に切り込んでいるものが多く、子供の思想に対する影響は割とあるだろうとも思いました。