はじめに
2016年のアメリカ大統領選挙では、他国からのSNSを通じた選挙妨害があったとかなかったとかで話題になりました。また、それよりも以前から、SNSを通じて色々な感情や思想などが増幅されるような話が散見されていました。最近、少しTwitterをROMではあるものの、使うようになり、この辺の仕組みが見えてきたのでメモを残しておきます。
もともとは小さな世界だった
「はじめに」に記載の通り、私は最近になってTwitterを少し利用するようになりました。利用するといっても、普段読んでいるBlogの管理者や、有名な人をちょっとFollowしたりするだけで、自分から何かするわけでもなく、ここでもやはり読む専用です。
ところが、ここで気が付いたのは、Twitterは仕組み上、誰かをFollowすると、その人のコメントのみならず、その人がLikeした人やまたFollowしている人のコメントなどが自分のタイムラインに流れてくることが分かりました。いまさらですが・・・。
これによって、「あぁ、この人がFollowしているならきっと面白いはず」と言った形で、そのあたりも含めて色々な人をFollowしているとあれよあれよという間に、何もなかった私のタイムラインがそれらの人の一挙手一投足で埋め尽くされてしまいました。具体的に言うと、投資関連の話題で埋め尽くされてしまったという話です。これによって私の箱庭たるTwitterは圧倒的に拡張されてしまいました。
小さな世界が世界のすべてになる
そうすると、何が起こるかと言うと、その小さな箱庭たる私のタイムラインはまるでそれが世の中のすべてを現しているかのように思えてくることに気が付きました。TwitterのTLに流れてくる情報は、基本的には自分が選択している情報であれり、それ以外の情報、例えば反対の立場をとっている人の主張や、そもそも興味を持っていない人の考えなどはほとんど流れて来ようが無く、ともすればそれが存在することを忘れてしまうことも往々にしてあり得るだろうなと思いました。
これは、例えばアメリカの大統領選挙と言う文脈に当てはめると、Trumpの支持者はそれを中心に、支持者同士で情報を出し合い、どれだけTrumpが優れているのかを確認しあい、お互いにお互いの認識を強め、増幅し、一方で、Bidenの支持者も同じことをオンラインで行う。その結果、西洋の思想の根底にあるはずの弁証法的なアプローチは機能しなくなり、単なる分断が世の中を覆っていくのではないかと感じました。
世界が分断されていく
弁証法を忘れた二項対立に待っているものは、「合」ではなく「断」です。なぜなら、弁証法は、正・反の対立を通じてより良い合を生み出すための仕掛けであり、その根本は、相手を敬い、相手の意見を尊重し、その上で双方にとってより良いものを生み出すことにあると考えますが、世界の分断が進むと、そもそもの「相手を尊重する」や「双方にとって・・・」と言う概念が薄れ、やがてなくなるため、「どちらの方がより優れいている」と言った、より単純な結論しか導き出せなくなるためです。そしてこの分断がいろいろなところで顕在化してきているのが、最近の世の中何だろうと思います。世界規模でみると、政治的イデオロギー、アメリカ国内で見ると、民主党と共和党、白人と有色人種などなど。
それでも、人々は自分たちの子孫により良い社会を残すために、この課題をクリアし、断ではなく合にたどり着けるだろうと期待しています。10年、20年したらこの投稿を「こんなこと言っちゃってたよ。」と笑いながら振り返れる日が来ると良いなと思います。
まとめ
- Twitterを始めて気が付いた世の中の分断の流れに関して考えていることをメモしました
- 10年、20年たった時にこの文章を読み返して、昔はそんなことを考えていたんだなと思える時が来ると良いなと思います