はじめに
娘ができて以来、何かにつけて娘は可愛いとか、娘ができて本当に良かったと思っていたのですが、最近その究極的な出来事が起きたので、記録しておこうと思います。単に溺愛する娘に対する惚気投稿ですね。
ウンチを擦り付けられても幸せ
隠し様が無いぐらい、読んで字の如くなのですが、父親というのは、娘にウンチを擦り付けられても幸せなのだなと、最近思いました。
その日は、お腹の調子が悪かったのか、朝から少し緩めのものをこちらの気づかぬタイミングで排泄し、妻を驚かせていました。事実、朝の物はおそらく彼女の椅子に座っていたタイミングで、排泄したようで、おむつの腰側から逆流してはみ出して、ちょっとした惨事になっていました。
そんな娘が、夜のご飯を食べた後に朝と同じように、自分の机に向かい遊んでいたところ、妻曰く、「何か不快そうな顔で一目散にこちらに来た」とのことです。そして、その不快そうな顔の原因は、朝と同様に少し緩めで、腰側から逆流したウンチで、それを手で触ってしまったらしく、手にこびりついていたようです。
そこで、不安や不快を前面に表した娘が取った行動が、その手にこびりついた少し緩めのブツを私の腕や足に擦り付けるという行動でした。
正直ちょっと何が起きているのかわからなかったのですが、さっきカレーを食べたはずの娘の手にカレーのようなものがあり、それが私の腕と足に擦り付けられている。そう言う状況でした。
もちろん、親なので二人とも驚きつつも、娘の手やあちこちにこびりついたブツを拭い取り、おむつを変えて、その後無事にお風呂に入り、いつも通りの生活を取り戻しました。ただそれだけのことです。でも、私にはこのちょっとしたハプニングがとても幸せなことと思えました。
幸せポイントは2つ
こんなどうしようもないストーリーの、どこに二つも幸せポイントがあるのかと、耳を疑う人は多いかもしれませんが、この一連のストーリーで娘は私を二度も幸せにしてくれました。
一つは、親として頼られていると言う当たり前すぎるようで、なかなか実現するのが難しいことだと思います。
私の所属している組織は昔から激務で有名で、気がつくと子供が大きくなっていると言っている諸先輩方がたくさんいらっしゃいました。私はそうはなりたくないと思ってはいましたが、時代が時代だったので、それもまた普通だったのだと思います。
もし、私がこの状況で、子供の世話を全くできない父親だったとしたら、娘は間違いなく私ではなく妻の方を頼りに行っただろうと思います。そう思うと、娘からすると私はれっきとした父親であり、何か不安なことや、困ったことがあったときには、とりあえず解決してくれる可能性の高い、頼り甲斐のある父親という認識なんだろうと思います。
そう思うと、幸せな気分になりませんか?
二つ目は、娘との関係においては、こんなハプニングすら幸せなこととして捉えられる精神状態に、自分がいられると言う事実です。
疑うまでも無く、これが娘ではなく、全然赤の他人だったら、もちろんそんなこと起こるわけないと思いますが、笑い話ではすまされないどころの話では無く、何と言うか、自分を無くしてしまうぐらい怒りがこみ上げてくると思います。また、私はどちらかと言えば子供が好きな方なのですが、それであったとしても、これが友人、知人の子供など赤の他人の子供だったとしたら、こんな風には対処できなかったかもしれません。
一般的には、それぐらいの出来事であり、他人が自分に対して行える最低のことの中でも最も最低なことに近い出来事だったと思います。
そんなことが起きたにもかかわらず、娘のことと思うと、驚きはするものの嫌な気分には全くならず、それに対して幸せすら感じられてしまう、そんな精神状態でいられるのは、疑い様も無くそれは娘との関係性があるからだと思います。
まだ言葉も十分に喋れない娘とそんなつながりを持てていることに、私はとても大きな幸せを感じています。
まとめ
- 最近起きた、大きな幸せを感じたシーンを記録しておきました
- 娘を持つ父親とは、こんなにも大きな幸せを感じられるのかと思うと、娘がいてくれて、元気に育ってくれていることに大きな感謝と幸せを感じます