入手した情報の真偽を自分は正しく判断できない可能性の方が高いと思っておいた方がいいという事実に関して

はじめに

先日Twitterを見ていたら、業界の人間からすると重要な説明がごっそり抜け落ちているなという感想を抱く記述に関して、他の方からすごく分かりやすかった、ためになったなどの称賛の言葉が並んでいたことに対して、どういうカラクリなんだろう?と思ったので、これに関してメモしておきます。

情報の真偽を正しく判断できるのは、2σを超えた人だけ

このブログでたまに出てくる統計の話ですが、対象が正規分布に従っていると仮定した場合、平均値から±2σの区間におよそ95.4%の標本が所属します。つまり、100人に対してとあるテストを行った際には、その95人ぐらいが、所属してしまい、その試験の最高点付近には、2人か3人ぐらいの人しかいないことになります。

これはつまり、その試験をしたおよそ97人の人は、何らかの点において情報の真偽を間違えて判断する可能性が高く、対象となる情報の真偽を正確には見抜けないことを指しており、同様に、正しい情報を正しいと判断することも、誤った情報を誤っていると判断することもできない状態にあることを示しています。

この前提を受け入れると、世の中で何が起きるかというと、以下の様なことが起きます。

  1. 真偽を判断できる人が出した正しい情報を、真偽を判断できないほとんどの人が判断することで、正しい情報がほとんどの人に届かない
  2. 真偽を判断できない人が出した誤った情報を、真偽を判断できないほとんどの人が判断することで、誤った情報を正しいものとしてほとんどの人に受け入れられる

そんなバカな?と思うかもしれませんが、おそらくインターネットの世界ではこれが日常的に起こっているものと思います。

私が目にしたケースでは、とある人は以下の様に主張していました。

「インターネットセキュリティでは、認証が大切だ。」

これは、主張としては正しいのですが、情報が十分ではありません。これだけだと、セキュリティとしては不十分で、アカウントのセキュリティの話をするのであれば、認証と認可はセットにしないと意味がありません。

と、業界は同じ、専門は別の人間でも思います。

ところが、ITやセキュリティに詳しくない人などは、まるでこれが正しいことかの如くこの主張を受け入れて、誤った情報を正しいものとして飲み込んでしまうという自体が発生していました。

これは、とても簡単な例ですが、詰まるところ、言いたいことは、インターネットの大海に存在する情報のほとんどは、専門家ではない単なる素人が勝手気ままに買いているものであり、それを書いている素人には、自分が主張している内容の真偽を判断できないかつ、それを消費している素人もその真偽を確かめることはできないため、あたかも誤ったことが、真実かの如く扱われていることがある。

ということを理解した上で、情報に接した方がいい。という話です。

まとめ

  • これを認めるのはなかなか難しいのですが、情報を発信している人も、情報を受診している自分自身も、その情報の真偽を正確に判断することはできないことが殆どである
  • 以前も書いた通り、情報は、誰が、何の目的で、誰を対象に記載したものなのかに注意して取捨選択するといいでしょう

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