はじめに
例によって、娘の成長を記録するのコーナーなのですが、最近、娘が「概念」と言う物を使う様になってきたので、これに関してメモしておこうと思います。
家族はパパ、ママ、ベイビー、ミー
一言で言うと、そう言うことなんですが、自分の家族の構成員が誰なのかを理解しているのではないかと思います。
もちろん、「家族」という日本語は教えていないので、家族は・・・とは言わないのですが、Familyという概念を認識している様な気がします。
彼女が視覚的に認識できる範囲では、家族は私と妻しかいないのですが、妻は現在妊娠中であり、じきに出産の予定なのですが、その将来生まれてくるであろう赤ちゃんまで自分の「家族」として、その枠に入れられるあたり、なんというか、「家族」がどういうものなのか、解っているのではないかと思わされます。
「家族」というもの自体は、その構成員を目視することはできても、概念としての家族はintangible(という言葉にふさわしい日本語訳はなんでしょうか・・・?)つまり、目で見て確認することはできないので、一つ、思考のプロセスが進んでいると思うのですが、それを認識できる様になったのではないかと思います。
例えば、妻が実家で飼っている犬の名前を呼んで、「私の〇〇」ということはわかっていても、それが他の××と同じ「犬」という理解はなかったはずなのですが、その「犬」という固有名詞の一つ上の概念を扱える様になってきたのではないか?という気づきです。
椅子を組み合わせてベットを作る
同じ様な話で、お人形さんを寝かせるベットを作るという行動があります。
仮にベットが何かと知っていたとしても、私がいつも寝ている「ベット」以外のベットを知らなかった場合、ベットが欲しいと思ったところで、それを自分で作ることはできずに、お人形のベットが欲しいと主張して終わるのではないかと思うのですが、自分で、子供用の椅子を二つ向かいわせて並べて、そこに子供用の枕を乗せて、あたかもベットの様にして、その上にお人形を寝かせてベットとして成立させて遊んでいます。
つまり、それ自体は自分の知っているベットとは全く別物だったとしても、自分はそれにベットという概念を当てはめて、お人形を寝かせて遊べるというのは、3歳児の遊びとしては結構高度じゃないかな?と私は思います。
まとめ
- 最近気づいた娘の成長に関してメモしておきました
- 少しずつ目に見えない「概念」というものを理解してきている様な気がして、子供の成長は本当にめざましいなと思いました