はじめに
先日、娘に頼まれて、画用紙に描いた蝶々を切るというアクテビティをしたのですが、その際に、「人の様子を見て真似るの能力」というものの存在に気がついたので、ここにメモしておこうと思います。
できない。けどやりたい、だからやって。
Daycareの先生曰く、うちの娘は歳の割にはハサミの使い方が上手だとの評価を以前いただいていました。以前から、妻が娘のクラフトに付き合っていることもあり、娘自身も割とクラフトが好きなところがあるのですが、ハサミの使い方が上手だと言われるほどたとは思いませんでした。
そんな娘ですが、今までは何か形に沿って切るというよりは、紙を自分の思う様に切り刻み、その破片を改めて紙にノリで貼る様な遊び方をしていたのですが、先日は、画用紙に描いてあった蝶々の形に切りたいと言い出し、これをやってみたところ、自分の思う様に行かなかった様で、「やって。」と言い出しました。
こう言った、右手と左手とを違う動きをさせながらも、お互いを協働させる必要がある作業というのは、そういう概念がまだ娘にはなく、どうやったらうまくできるのか、いまいち分からなかった様です。
また、こう言ったことは、体験を通して学ぶことが多いアクティビティなので、娘に説明して学ばせるのもまた難しいものでした。
ということもあり、私がその蝶々の型の右半分ぐらいを切って渡したところで、改めて娘がやり始めたのですが、先ほど「できない。やって。」と言っていたときとは打って変わって、かなりスムーズにできる様になりました。
それまでは、ハサミの先っぽを使って一生懸命切ろうとしていたのですが、私のやるのを見て、ハサミの根元を使いつつ、割とハサミに近いところの紙を支えていた左手も、ハサミから遠くを持ち、全体を支える様な動きになっていました。
もちろん、それでもまだ、大人がやる様にスムーズな曲線にはならないものの、それまでとはハサミの使い方のレベルが、1段も2段も上がった様な形になり、本人も満足げに「やったー。」と言って、蝶々の形を切り終えていました。
まとめ
- 私は割と本人の自主性に任せたいと思っている方なので、「やって。」と言っても、やらないことが多いのですが、こう言った「見本を見せる」という効果があることを知ることで、多少であれば、やってあげてもいいかなと思う様になってきました。