昔から少し女の子っぽいことも好きだったことが、最大限の価値を出してきた

はじめに

自分自身で割と不思議だったのですが、私には小さな頃から、割と女の子っぽいと言われる遊びが好きなところがありました。最近、これがとんでもない価値をもたらしてきたので、記録しておこうと思います。

あやとりや折り紙に熱中していた幼少期

私と会ったことがある人はまさかそんなこと好きだったの?と全然イメージが湧かないぐらいに、私自身は男っぽいと思います。昔から競技スポーツをやって、勉強は理数系の方が得意で、大学は工学部に進み、男の中で男臭く生きてきました。

歳をとるにつれてあまりやる機会も減ったのだろうと思いますが、保育園に通っていた頃は、折り紙やあやとりがかなり好きでした。

特に折り紙は本当に好きで、当時折っていた作品のいくつかは今でも折ることが出来ますし、折り方を忘れてしまっているものに関しても、完成形から何となく展開していき、折ることができるものもあります。

折り紙を折ろうと言う娘。応える父。

いつだったか忘れましたが、まだ、Dallasにいた頃、娘が折り紙を折ることに興味を持つようになりました。本当にきっかけは忘れましたが、多分何の気なしに誰かからもらったか何かした折り紙を一緒におりったのかもしれません。もしくは、紙飛行機を一緒におったのが初めかもしれません。

ただ、そういったやりとりが何度か続くことで、娘は自分の父親は折り紙を折るのが得意で、いろいろな折り紙を折って教えてくれる人という認知がされたようで、今ではことあるごとに折り紙を折ろう。というようになりました。

私が娘ぐらいの歳の時には、すでにかなり折り紙を折れるようになっていたと思いますが、個人的にはこの折り紙を折るという活動は子供の脳味噌の発達にとても良い影響があるのではないかと思います。

角を合わせて、自分の思った通りに指を動かし、紙を折るその指先の制御方法を学び、インストラクションに従って、一つ一つ順に折っていくことで、順序よく物事を進めるある種の忍耐力を養い、平面を折ると立体にすることができるということを学び、空間を認知することができるようになる。

など、指先の訓練から、幾何学的な領域まで、かなり幅広く娘にいろいろなレッスンをしてくれていると思っています。

そう思うと、当時はちょっと異質だった折り紙好きの少年も、今、娘の父親になることで、一緒に折り紙を折ることが出来、その点で娘の関心を十分に集められ、娘とコミュニケーションが取れるという、およそ40年越しの、当時は思いもしなかった価値がここで見出され、場合によっては、この時のために私は折り紙が好きになったのではないかと思ってしまうほど、当時、折り紙が好きになっていて本当によかったと、最近では思っています。

まとめ

  • 男は社会的に強くあることを求められますが、その男でも女の子っぽい遊びができることで、こんなにも素敵な時間を娘と過ごすことができると思うと、私の人生は本当に恵まれていると思います。
  • 今折り紙が好きで、周りからちょっと浮いてしまっているかもしれない良いさな男の子たちも、それがあなたの人生に圧倒的な幸せをもたらす可能性があると思うと、男の子っぽくないからといって、どうかその楽しみを捨てないでほしいなと思います。

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