文化的な違いを受け入れる難しさ

IMDのプログラムの一環で、イタリアにあるSantuario di Oropaへ行きました。ここは、イタリアの北部、スイスの国境とほど近い山間部にある、世界遺産にも登録されている修道院です。カルチャルトークとは別に、ただここを訪れるだけでも価値のある場所だと思いました。修道院に宿泊することができ、そこを拠点に簡単な山登りもできます。頂上からはヨーロッパアルプス(多分)を一望でき、とても満足感の高い場所です。

ここでは、キリスト教の司祭の方のお話を伺い、後に事前に配布された読み物を一通り読んだ上で、なぜ自分たちはそういう行動をとるのか?を文化的背景から探っていきました。ここでの気づきは、大きく二つありました。

  • 一神教と多神教の交差点

件の司祭さんが、”You can find God everywhere in the world”と仰っていました。最初は特に気にならずに通り過ぎてしまったのですが、改めて考えると「はて?」って思います。キリスト教は一神教なので神は一人しかいないはずなのに、どうやったらeverywhere in the worldに神を見つけられるんだろう?と。
ということで、普段あまり講演者に質問をすることはないのですが、気になって仕方がなかったので、休憩時間に思い切って質問をしてみました。「多神教の世界で生きている自分からすると、とても理解できる話なんだけど、一神教徒の方々はそれをどう解釈してるの?」
彼の答えには、「なるほど」と頷かされました。それは、実際にそこに神がいるわけではなくて、万物は神の働きかけによって今ある形(形態、運動などなど、目に見えるもの見えないもの全て)になっている。と解釈することで、世の中のいたるところに神を見つけることができるとのこと。

  • 木を見て森も見る

ここでは、インドと日本がペアになりお互いの文化を紹介しました。事前に渡された資料がちょっと古い文献だったために、インドと日本に関する記述に偏りがあったことも原因だと思うのですが、インドの発表はなかなか刺激的なものになりました。
プレゼンテーションは、ディベートではなくせいぜいディスカッション程度だった思うし、またテーマもどちらがより優れているかではなく、文化的背景が自分たちの行動様式にどう影響しているか?だったはずなのですが、日本とインドを比較してインドがいかに優れているかのプレゼンになってしまい、彼らの行動様式に影響する文化的側面を見ることができなかったのが残念でした。
プログラム全体、修道院でカルチャルトークをする意味、それらを踏まえた上で自分が今しなければならないプレゼンテーションはどういったものか?まで意識して色々とできるともっと彼らのプレゼンスは増すと思うのですが、なかなかうまくいかないみたいですね。日本よりもはるかに厳しい競争を勝ち抜いてきた精鋭がここにはいるので、どうしても自分たちの優位性を示したくなる気持ちもわかるのだけれども、今はそれをするタイミングじゃないかな。

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