はじめに
「私は英語を話せます。」と言うと、世の中的にはどれぐらい「話せる」と思われるのでしょうか。これはなかなか広がりの深そうなテーマなので、何回かに分けて書こうと思います。
今回は「海外子女教育」と言う、会社で配布された雑誌を読んでいてとても考えることがあったので、それに関して考察してみようと思います。
私の英語力は?
略歴を見ていただくとわかる通り、私はいわゆる純ドメと言うやつでした。生まれも育ちも東京で、しかも応用物理を専攻してしまう、理系ど真ん中でした。学生の頃は好きでバックパッカーとして主にヨーロッパを回っていましたが、「英語が喋れる」と言うには程遠かったと今でも思います。ユースホステルに泊まったり、現地のツアーに参加したりで色々と英語を見聞きする機会には恵まれましたが、それでもやはり「英語を話せる」には程遠かったと思います。
英語を話せるようになるとアクセスできる情報ソースが爆発的に増えることは自明だったので、下手くそながらも大学にいる間も、就職してからも細々と続けていました。たまにTOEICなどを受けて成果を確認し、「理系の割にはなかなかやるよね。」って、自己満足していました。
転機が訪れたのは、やはりMBAの準備をし出してからでしょうか。受験をするには圧倒的に英語力が足りないと思い知らされました。詳しくは書きませんが、時間と資本の許す限りあらゆることをやりましたが、結果導いた結論は「ある一線を超えると国内での勉強には限界がある。」と言うことでした。例えて言うなら、TOEIC800点台後半〜900点ぐらいまで取ると、点数を上げるための努力はできるものの、英語を使いこなすための手段は国内では提供されていないと痛く感じました。
それでも何とか希望のビジネススクールに合格し、1年間留学してきたわけですが、もちろん英語では相当苦労しました。何せ、世界40カ国から自信満々のビジネスエリートが集まって、みんな自国の言葉の訛り(発音、アクセント、イントネーション)を引きずって英語らしき言語を話すもんだから、もう全然わかりません。ほんと、山のような宿題とあいまって、毎日泣きたい気持ちでした。
でも、その甲斐あってか英語は話せるようになりました。学校にいた頃は、なんて英語ができないんだろう・・・ってずっと思っていましたが、卒業してある時ふと思いました。あぁ、話せるようになったな。って。
と言うことで、私の英語力はそんなもんです。どんなもんかと言うと、ビジネスの話はちゃんとできます。日常生活もちゃんと送れます。あまり不自由を感じません。でも、映画を見ても全部はわかりません、ドラマもしかり。ニュースはわかります。それぐらいです。いつだったか留学後に受けたTOEICは915でした。
英語活用の段階
色々な括りがあるかと思いますが、私が当時思ったのは、「英語活用の段階」と言う概念でした。言葉にするととてもシンプルなのですが、これはとても重要な概念だなと思いました。
英語に限らず、語学もしくはその他の学問やスキルでも当てはまる気もしますが、これを抽象化したものが、いわゆる守破離なのかもしれません。
- ルールを覚える
明文化するまでもないかもしれませんが、これはいわゆる学校で習う部分です。私が中学生の頃から学校で身につけていた英語は、いわゆるoral communication の部分が抜け落ちていたので、世の中では「学校英語なんて使えない」と言われ続けていますが、私はそうは思いません。これはこれで壮大なテーマなので、別途時間を見て書きます。何を始めるにしても、基本的なルールをちゃんと理解して正しくそのスキルを運用しないことには、その上に乗っかるものはあやふやで曖昧で不細工です。 - ルールを意識して話す
こちらも今さらしつこいですが、やはり学校で習ったルール(文法、語法、アクセント、語尾の繋げ方など)を意識して、正しい英語を話すことです。ここで一つポイントになるのは、相手は必ずしもルールを守っているとは限らないと言うことですが、それは場数が解決してくれます。
コミュニケーションの基本は、自分の意図を誤解なく相手に伝えることなので、正しい文法と適切な単語を使って、自分の意思を明確に伝えればいいのです。もちろん、ネイティブからしたら回りくどいなぁと思うかもしれませんが、気にしなくていいんです。私たちは日本人で、英語が母国語ではないので。周りのちゃんとしたネイティブはそれを知っているので大丈夫です。むしろ、丁寧でちゃんとした英語を話す人だなと思われます。日本語を母語としない外国人が日本語を丁寧に話している様子を見ればきっとみんなそう思うと思います。 - 適度にルールを離れる
これが一番難しい。おそらく、「ルールを意識して話す」と「適度にルールを離れる」の間にとても大きな隔たりがあります。ここは言い換えると、「英語学習者」すなわち、「英語を勉強している人」から「英語運用者」つまり、「英語をツールとして使って何かをしている人」への移行を意味していると思います。
日本にいながら「英語運用者」になるのは相当大変だと思います。MBAの準備をしていた当時の私は、おそらくここの壁をうまく乗り越えられずにもがいていたんだと思います。「英語学習者」の上級になってしまうと、「英語運用者」になるための最後の一押しを助けてくれるサービスが国内にはほとんど存在しないと言う現実を突きつけられていました。
では、「適度にルールを離れる」とはどういうことか?これは、前の2段階が確実に積み上がっていることを前提として、「こう言う表現って今まで聞いたことないけど、これを伝えるにはこうなるはず。」とか、「文法的には間違っているんだけど、ここで相手の言いたいことはこう言うことなんだろう。」とか、基本となるルールを飛び出したところの意図を理解できると言うことなんだと思います。自分の日本語を振り返るとわかると思いますが、必ずしも文法的に100%正しい日本語を話しているわけではありませんよね?そう言うことです。この段階に来たら「英語運用者」と言って差し支えないと思います。
結局なんだっけ?
結局、海外子女教育にたどり着く前にだいぶ文字数が増えてしまったので、この話の続きはまた次回に回そうと思います。「〜その1〜」って書いておいてよかった。
まとめ
- 「英語学習者」から「英語運用者」への移行はかなり大変
- 守・破・離と言う概念は、何かを学び使えるようになるためのステップとして、かなり本質を得ていると思う