英語を話すこと 〜その2〜

はじめに

「その1」では、私が個人的に考える「英語学習の段階」みたいなことを書きました。「その2」を書くために必要だと思ったので書き出したら、そこそこの分量になってしまいました。

「その2」では、ようやく「海外子女教育」に書いてあった、「使える外国語力」と言う概念に関して考察してみたいと思います。

使える外国語力

海外子女教育6月号(No.566)では、通訳・翻訳者の岡本さんと言う方が、

外国語を使いこなす力には、サバイバル、コミュニケーション、エクスプレッションの3段階がある

海外子女教育 No.566

とおっしゃっています。

これは言い得て妙だな。と思いました。自分のことを振り返ると、学生の頃に旅先で英語を使っていた頃は、使わなきゃ何も始まらないので使うものの、それ以上の広がりも奥行きもない、いわゆるツーリストイングリッシュで歩き回っていました。これは、上記に当てはめるとまさにサバイバルだなと。
また、MBAの準備をしていた頃は、それこそサバイバルは脱していた(?)ものの、それでも自分の言いたいことの一割も言葉にできず、コミュニケーションの初歩の初歩のところにいたんだと思います。それが、1年間の留学を経て、だいぶ自由になるようになったものの、やはりまだまだコミュニケーションの域を脱せず、自分の意図をニュアンスも含めて確実に相手に伝えられるような、エクスプレッションの域には程遠いなと思います。

事実、前出の岡本さんは、

まず、サバイバルとしての外国語は生きていくために必要だから、必死でやりますよね。次の段階がコミュニケーションのための外国語です。数年間海外にいて身に付く外国語は、どれだけ学校で頑張っていてもサバイバルに毛が生えた程度、あるいはコミュニケーションレベルの初歩です。自分の考えを過不足なく表現できるエクスプレッションレベルには届きません。

海外子女教育 No.566

とおっしゃっています。

ただ、ある意味それは自明で、私は日本にいる間ひたすら日本語を使って35年間もコミュニケーションをとり、勉強をしてきたわけで、第二外国語たる英語がものの数年で日本語レベルに達するはずはなく、バイリンガルなんて言うのは本当におこがましいし、複数の言語を高いレベルで両立させている人を見ると本当にすごいなと感服します。

で、結局?

岡本さんの尺度に当てはめるならば、英語で学位をとり、英語で仕事をし、英語で生活をしている私もやはりまだまだコミュニケーションレベルであり、それ自体私の認識と合致しています。

これはつまり、日本人が日本語のように英語を自由自在に操ることはそれぐらい難しいことであると言っているのと同時に、英語を自由自在に操っている様に見える人たち、きっと他人から見たら私もそう言う人に見えるはずなのですが、ですら自分の意思を100%正確に伝えることはできずに、時に間違えを犯しながら日常を送っていると言う事実があるので、英語を話せる様になるべく勉強している人に関しては、恐れることなく自分の思うことを自信を持って言っていけばいいんだと思います。その中で、間違いに気づいたり、誤解が発生した場合は、それを訂正し自分の中に蓄積していけばより自由に英語を話せる様になるんだと思います。

まとめ

  • サバイバル、コミュニケーション、エクスプレッション、どのレベルを超えるのも相当な努力が必要
  • あの人英語が話せてすごいなーと思う人でも、日々間違いを繰り返し改善しているのだから、英語を話せる様になりたかったら、間違えを恐れずにどんどん英語を話しましょう

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