変えられることと変えられないことを知ることの重要性

はじめに

いつの頃からかわかりませんが、人生では変えられるものと変えられないものを知り、変えられるものを変えるために正しい努力をすることが重要だと思うようになりました。これに関してここにメモしておきます。

きっかけは・・・

もちろん覚えていませんが、いつの頃からか自分には変えられるものと変えられないものがあると思うようになりました。これは、言い換えれば努力でどうにかできるものと、努力ではどうにもできないものと言い換えることができます。

例えば、私がこのブログでメインテーマの一つとしている資産運用も、新卒の時点で±0の当時の私が、1日で今と同じだけの資産を築くことは不可能だとは思いますが、いろいろなことを学びながら、少しずつ確実に継続することで、これぐらいの資産を築くことはできるようです。これも、投資に興味を持って少しづつ知識を蓄え、それを実行に移してきたから実現できたものです。

例えば、大学受験を考えている高校生や浪人生が自分の出身校を変えることはできませんが、自分が進学する大学は自分の意思で決めることができます。

私の通っていた高校は地域ではいわゆる進学校と言われる学校でしたが、全国区で見ると進学校というには少し寂しい感じだったと思います。そうすると、過去の実績からうちの高校からはこれぐらいの大学に行くのが一般的な感じということで、大体みんなその枠から外れることなくそれっぽい大学に進学しました。

同じような話は、大学から大学院に進学する際にもあり、私たちは入学した段階で、「6年一貫教育と考えて欲しい」と言われ、これに違和感を感じた私は、普通であれば所属した研究室で修士まで修めるところを敢えて、別の大学の大学院へ進学し修士を修めました。

こう言った人生での選択を繰り返す中で、そもそも選択肢のある状況とそうでない状況があるという当たり前のことに気付き、変えられないことに対して努力しても仕方がなく、変えられることに向けて努力をしようと思うようになったんだと思います。

ニーバーの祈り

私が2つ目の修士を修めたIMDという教育機関では、PDEセッションという時間があり、精神分析官みたいな人と隔週ペースでディスカションをして、自分の価値観とかを深く掘り下げていきました。

そこでたまたまこの話になり、同じようなことを言っていた人がいるということで、ニーバーの祈りを紹介されました。

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

出典:Wikipedia(ニーバーの祈り)

私の至った考えを確実に言い得ています。さすがですね。

話は二段階です。

  1. 変えることのできないものと変えることのできるものを知る賢さ
  2. 変えることのできないものに関しては、それを静穏にに受け入れる力を
  3. 変えることのできるものにはそれを変える勇気を

とても美しいと思います。私の思考と完全に符号しています。

  1. 変えることのできないものと変えることのできるものを知る賢さ

    これは、人生をストレスなく効果的に生きるための術であり、それを実践するためには一定の知識、経験、智恵、理性などが必要かと思います。つまり、自分が人生で培った今の自分自身を以って、この先の自分の有限のリソースをどこに割り当てるかを決める。そう言った活動のことを指しています。

    例えば、何もない(と思っている)自分を憂い、いろんなものを持っている(様に見える)他人をただ羨むのではなく、未来の自分が理想とする自分に近づくために、今何をするべきなのか?を正確に判断する、そん活動があたると思います。

  2. 変えることのできないものに関しては、それを静穏にに受け入れる力を

    そして、1の活動の結果、これを変えるのは無理だと思ったことに関しては、それをよりストレス少なく受け入れる、これはもしかしたら「耐える」ということなのかもしれませんし、「耐え忍ぶ」ということなのかもしれません。

    人生では、何をやってもうまくいかない時期があるのだと思いますが、それはそういう時期だと思って、心身の健康を維持しながらひたすら「耐え忍ぶ」そんな活動です。それを実現するために必要なのは何か?というと、人生は連続であり、「人生万事塞翁が馬」という考えに共感できることだと私は考えています。これに関しては別途考えをまとめます。

  3. 変えることのできるものにはそれを変える勇気を

    そして最後に、変えられるものに関してはそれを変える勇気を。

    多くの方が実感されている様に物事を変えるのはとても大変です。変えようと思っていることが大きければ大きいほど大変で躊躇したくなり、脳は自分が思っている以上に賢く、変えられることに関しても変えられない理由を探して意志を挫きがちです。

    それでも一歩踏み出して物事を変えていくことで、自分の人生がより良い方向に向かって行きます。

    物事を変えるのは大変ですが、それを実現するのは過去の成功体験の積み重ねと自分に対する信頼だと思います。成功体験が自分に対する信頼を醸成し、自分に対する信頼がより大きな成功を呼び込みます。

    なので、最初の一歩は小さな一歩になりますが、それを継続することで、のちに大きな一歩を自信を持って踏み出せる様になります。

私の人生に対する影響

こんな風に考える様になったからなのか、どうなのかは分かりませんが、おそらく他人から見ると私は全く違った個性が見えていると思います。

とてもドライであっさりとした面と、そこまで?と思うぐらい固執する面と。

例えば、私がもっと早くから投資の世界に足を踏み入れて経験を積んでいれば、ともすれば既に大きな資産を築いていたかもしれません。例えば、当時の私がもっと戦略的に就職活動を進めていれば、今の会社ではなく別の会社に就職し、もっとファンキーなことになっていたかもしれません。

でもこれらは過去の事実に依拠して導き出された現在であり、これを変えることは不可能です。なので、殆ど気にもしません。

一方で、私の残りの人生で私がどれぐらいの資産を築くのか、もしくはこれからどれだけファンキーになるのかは、今の私がどういう方向で、どれだけ努力をするのかにかかっています。

なので、ここに関しては拘ります。なぜなら、それによって未来の私が変わるからです。

それまでの人生では考えられないぐらいの競争を駆け抜けて、自分の望む教育をIMDで受けられたのは、このためだと私は評価しています。

社内は愚か、私の周囲でも私がIMDに進学できると思っていた人は私以外にはいなかったと思います。このブログのMBAPrepを見ていただくと分かる通り、当時はかなり追い込まれ、苦しい日々を過ごしましたが、自分を信じ努力を続け、最後にはIMDへのチケットを獲得し、IMDでの生活を存分に愉しんで来ることができました。

まとめ

  • 正しい判断、何かを進めるための意志とそれを実現するための不断の努力ができれば人生は自分の思い描いた通りに変えていけると思うので、このメモが何かモヤモヤとしていることがある人の助けになればと思います
  • ちなみに、私はキリスト教徒でも仏教徒でも何教徒でもなく単なる無宗教者なのですが、たまたまこの部分に関しては考え方が一致したと言う話です

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