CoachingがCoachとClientとの間の関係性に立脚して成立すると思うと、本当に興味深い。

はじめに

CoachとClientの関係は、Clientにとって、OpenでSafeである必要があるのですが、それはどうすれば達成されるのか?そのためのポイントは?という話です。

関係性において相手は、自分を写す鏡だという認識が重要なのかもしれない。

私は、英語と日本語の双方でCoachingをやるのですが、最近その違いが少しずつわかってきた気がします。

Coachingを英語でやろうとするぐらいなので、英語に関してはそれなりにわかることが多いのですが、それでも日本語でCoachingをするのに比べるとかなり苦労します。エネルギーも使うし、不安も多いし。

この苦労は、一重に相手と自分の間に、言語運用能力に関して、明らかな差があり、それが相手のうけるセッションの満足感にネガティヴに影響するのではないか?と思うからです。

ということもあり、私は英語でCoachingを始める前にはそのことを必ず伝える様にしています。つまり、「英語は第二言語なので、セッションにおいて意味が不明瞭だったり、分かりづらいことがあるかもしれないが、その場合は、遠慮なく伝えてほしい。」と明確に言葉にして伝えます。

普段のセッションではこれが非常に良い方向に働いていると思います。

相手とのコミュニケーションにおいて、自分の能力が劣る部分があるので、そこに関してはサポートしてほしいと伝えるその姿勢ですが、これって、とてもOpenだと思いますし、また、自分の相手に対して劣っている部分を最初に宣言できるのは、その関係性が自分にとってSafeだと思っているからに、他ならないということです。

つまり、この最初の一言を通じて、自分はあなたを信頼している、あなたに対して心を開いている。ということを、暗に伝えていることになります。

自分の目の前にいる人が、心を開いて、その弱点まで伝えてくれたとしたら、それは同じくそういう態度で臨んでくれる可能性が高まるだろうと思いますし、協力しようと思うだろうと思います。

翻って、「相手は自分を写す鏡」というのは、そういうことです。

相手にどうあって欲しいと思う時は、それを言葉で伝えるのももちろんそうなのですが、「心を開いてね。」と言って、心を開いてくれる人もそうそう多くなく、先に自分の心を開くことで、自ずと相手もガードを下げて、その心を開いてくれるだろうと思うし、もし、相手が自分の思う様な状況にないと思ったら、それはもしかしたら、自分の態度がそうさせている可能性を考えることが、関係構築においては効果的に働く可能性が高いだろう。

ということです。

こう言った、Coach、Clientと言った「個の存在」にフォーカスを置くのではなく、その「個の存在」が作り出す「関係性」にフォーカスが置かれているあたりが、私の哲学と呼応する部分が多いなと思う理由かもしれません。

まとめ

  • Coachingは本当に、やればやるほど興味深いです。
  • 日本語のサイトを検索すると、自己啓発の一種みたいな形で、あまり本質を捉えていない案内が多い様な印象を受けますが、もしそれが本当だとしたら、だいぶもったいないことをしていると思うので、微力ながら日本におけるCoachingの正しい理解と普及に貢献できればと思います。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

CAPTCHA