はじめに
自分たちが成長の過程で得た「当たり前」は実は当たり前ではないことが往々にしてあります。特に、文化や感覚に根ざしているものはその傾向にあります。また、得てしてそういったものは身近にありすぎて気づかないことがあります。ここでは、その例としての虹の色に関してメモしておきます。
虹の色は6色のこともある
昨今、LGBTQの方々に関する活動が活発になる中で、虹の旗や目印をみる機会が増えたと思います。その活動との関係の有無は定かではありませんが、我が家の御近所さんでも窓際に虹色の何かをおいている人もちらほらと見かけます。
よくよく見ると気付くのですが、中に虹の色が7色ではなく、6色のものの場合があります。私たちの住む日本では、虹の色は赤橙黄緑青藍紫と相場が決まっています。私はこれを呪文のように「せきとうおうりょくせいらんし」と覚えました。一方で、LGBTQの活動のために利用されているレインボーフラッグでは赤橙黄緑青紫のケースが多くあります。
色の違いに関する考察
何故、同じものを見て表現しているはずなのに、こんなことが切るのでしょうか?私の考えでは、それが連続なものであるためです。
虹の色は、結局のところ、太陽光が空気中の水分で散乱され、可視光域の下限から上限の波長の光が連続的に出現し、それが人々の目に届いています。この、連続に変化するものをどこで区切るか?によって、虹の色が6色なのか、7色なのかが決まってくる。そう言う話だと思っています。
まとめ
- 虹の色に限らずに、同じものを見て、違う表現をすることはその他の事象に関しても往々にありうることで、意見が違うからと言って、必ずしも違うものを見ているとは限らないと言うことを知る必要があります
- また、この認知自体がコミュニケーションのベースにあると、より深く相手を知るきっかけとできるため、人との無用な争いを避けることが期待できます