キャリアは作る物なのかできる物なのか

はじめに

そろそろ終身雇用制度が終わりを迎えそうだなと多くの人が思っていたところに、COVID-19の影響で、在宅勤務が進み、それ自体が日本の雇用環境をメンバーシップ型からジョブ型に大きく転換しようとしている様に見受けられます。

そんな状況において、今更ながらキャリアは自分の意思で作るものなのか、それとも日々の仕事の中で結果できたものなのか?このことに関して、今の考えをまとめておこうと思います。

これまでの私のキャリア

私のキャリアは、所属している組織の中ではかなり傍流であり、同じ道を歩みたいと思っている人はあまり多くないと思います。職種としてはSE:Systems Engineerなのですが、もう少し細かくすると、その中でもInfrastructure and Operationに分類されると思います。技術力などかけらも無い、名ばかりエンジニアです。

私のキャリアは学生時代から振り返るとこんな感じで積み上げられてきました。

学生時代

学生時代は、ご多分に漏れずあまり確たるキャリア観も、職業観もなく、建築家になって芸術的な建物が作れたら人生楽しいだろうなぁと思い、建築学科志望でした。また、これとは別の軸として、早く親元を離れたいという強い思いもあったため、なるべく実家から遠いところに通おうと思っていました。

その結果、晴れて祖母の家の近くにある大学に進学することができたのですが、進学したのは建築学科ではなく応用物理学科でした。これは、大学名x学ぶことx学ぶ場所を天秤にかけた結果、あまり納得のいかない大学に自宅から通うよりも、少なくとも実家を離れ、そこそこ名の知れている学校で、次の機会をねらうという選択肢が勝った結果でした。

就活

就職活動はかなり迷走しました。他人から見ると、結果今の組織で働けていることは就活的には成功という印象の様でしたが、私的にはほぼ失敗だったと思いました。というのも、当時GW前には一通り選考も終わっている状態で、内定をいくつも持っている人が周りにゴロゴロいる状況で、今の組織の内定をもらったのが今でも忘れない7/29なので、まぁダメですよね。

国際協力的なことをしたかったので、そちらに進もうと思っていたのですが、どうも丁重にお断りいただいてしまい、その後も縁がありませんでした。まぁ、そういう巡り合わせなんでしょう。

下積み

ここからが今の組織に入った後の話なのですが、下積みは相当長かったと思います。それが悪いとは言いませんが、硬直した人間関係の中およそ8年、よく耐えたと思います。最後の方はもうほんといい加減にしてほしいと思っていました。この期間で学んだことは、硬直した人間関係は人をダメにする、メンバーのやり方にリーダーが歩み寄る、リーダーのやり方にメンバーが歩み寄る、この双方が無いことにはチームとしては強くなれないし、人も育たないだろうなという気づき、やっぱり自分は多少のリスクや周囲との軋轢を発生させたとしても、自分の人生の舵取りは自分で行いたいと心から思っていたことでした。

エンジョイ

たまたま、幸運にも硬直した人間関係から解き放たれるタイミングがあったため、これまでの憂さをはらすでもなく、鬱憤をぶちまけるでもなく、ただ仕事で成果を出すためだけにひたすら働き続けました。そして着実に結果も出し、この先の自分のキャリアを改めて考える様になりました。その結果、世界最高峰のリーダーシップとはなんぞや?という疑問に対する答えを求めてIMDの門を叩きました。

海外展開/マネージメント

IMDへ行ってスイスで1年、その後日本に1年半ぐらい戻り、改めて2018/7から渡米し、早2年間経ちました。なので、この5年間で見るともう海外にいる時間の方が長くなりました。この間、SEとしてシステム構築の最前線にいたしがないSEが、あれよあれよという間に日本を飛び出し、キャリア的な面でも現場一辺倒から今では現場〜マネージメントまで歌って踊れるみたいな形になってきました。

所属している組織が大きいこともあり、日本ではなかなか役職がつくわけではありませんが、アメリカに来たら組織も小さく、自分たちで始めた事業ということもあり、レポートラインは社長なので、控えめに見積もっても部長ぐらいの役職で、日本で言うところの課長ぐらいの仕事をしているんだろうと思います。

この先のことはどうなるかはわかりませんが、今も現場でガリガリ仕事をやりつつ、自分の部門のマネージメントをしつつ、日本とプロジェクトを作り将来のことに関して思索を巡らせ、日々ワクワクしています。また、その中で自分の日本での上司を通して、最近では自分自身のキャリアの広がりを感じてきているところです。

振り返ってみると

Connecting the dotsという言葉があります。キャリアは振り返ってみると連続性の塊で、次の準備のための今と考えられ、一本道の様に見えます。私のキャリアもこれまでを振り返ると、グローバルとリーダーシップというキーワードで背骨が通っている様に見えなくもありません。しかし、一方で、当時の私は色々な想いを持ちながら、その時々の選択をしていました。もしくは、選択をさせられていました。中にはうまく行ったこともありましたが、ほとんどの期間はうまく行かなかった期間に分類されてしまうと思います。

それでもここにきて思うのは、レバレッジを効かせるならでかい方が楽しいし、それを傍から見てるよりは、自分がやった方が何万倍も楽しいということです。

私の所属している組織は、大きいとは言え、本当に大きな組織と比べると十分には大きくないのですが、それでも効かせられるレバレッジは相当な規模だと思います。組織なので、レバレッジを効かせるには、その決済権限を持っている人に説明をして回って、レバレッジを効かせても良いよと言ってもらわなければなりませんが、それはつまり責任のシェアであったり、ダメだった場合の損失のシェアであったりもします。

最近は、できる人は就職せずに起業したり、初めからベンチャーでチャレンジしたりとそういう流れがある様で、もちろんそれはそれで素晴らしいことだと思いますし、学校を卒業したタイミングで自分は何がしたいのか明確にわかっているのであれば、ただそれだけにひたすら突き進むというのは、人生の時間の使い方としてとても効率的で、それが出来る人たちを尊敬します。

一方で、当時の私の様にイマイチ焦点が定まらない感じの人は色々な選択肢のある組織に所属して、その中でじっくり自分の適正を見定めるというのも手なのでは無いかと最近は思います。その結果、とてもシャープな、他には変えがたい何かが見つかったときには、それに突き進めばいいと思いますし、なかなか定まらない時はその組織の中で色々と動き回って、色々なことを試させて貰えばいいと思います。その懐の広さが大きい組織のいい点でもあり、悪い点でもありますが。

まとめ

私のこれまでのキャリアを題材にキャリアは作る物なのか、できる物なのかを考えてみましたが、どちらととることもできるというみもふたもない結論になりそうです。ただ、私の感覚的には、結果できる物である可能性が高いが、人任せでは自分の思う様なキャリアは描けないため、5年後、10年後とか少し先を見据えたときに、自分はどうなっていたいのか?を意識しながら、今の選択を積み重ねると少しずつ自分の思っている様なキャリアを描けるのでは無いかと思います。

感覚的には、若ければ若いほど遊びが多すぎて自分が順調に歩みを進めているのか不安になることが多かったのですが、最近はそもそも歩んできた道がレアすぎて、この仕事をこの役割でやれる人間は、たとえ私の所属している組織が大きかったとしても、私以外にはいないだろうなということが、私の上司含めその上までの共通理解となっている様な気がします。

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