自己肯定感を上げるには、自分を好きになれるまで努力をし続けるしかない

はじめに

先日、自己肯定感の低い人との付き合い方に関して、記録しておきました。

かく言う私自身も、他人を貶めることはなかったものの、あまり自己肯定感が高い部類の人間ではありませんでした。どちらかと言うと、私の自己評価は結構酷いほうだったと思います。

そんな私が、それをどう克服してきたのかをメモしておこうと思います。

人格形成における周囲の影響は大きい

こんなことは、改めて言うまでもありませんが、思春期を潜りぬけ、一定の自己を確立するまでに、親兄弟や、友人をはじめとした周囲の人々が与える影響は大きいと思います。

私のケースでは、年の近い兄がいる環境で、何かと比べられながら生きてきました。一般的に、兄弟は下に行くほど要領が良くなると言われる通り、勉強を中心にいくつかのところで、兄よりも優れているところがあった私ですが、それでもやはり兄と比べられるのは気持ちの良いものではありませんでした。

これは、おそらく兄の側にも色々な影響を及ぼしていたと思います。その割に、まともな感じに仕上がったうちの兄は、なかなか人間味のある人なんだと思います。

そんな、何かと周りの大人や友人などから認められていた私ですが、それでも自己肯定感はかなり低かったと思いますし、それが解消されたのは、なんだかんだ言って、大学生活のどこかだったと思います。

私の気持ちを陰に落とし込んでいた原因は、中学生になるぐらいからひどくなった、顔のアトピーと、歳の割に老成した感じもあり、中学生ぐらいからはどうも周りと考えていることが合わなかったことだったと思います。

これらの理由が合わさり、周りからしたらなんで?と思うような感じかもしれなかったのですが、私の自己肯定感はかなり低いところにありました。

克服するには諦めと自分磨きしかない

その後、浪人生活や大学生活を送る中で、自分どうしよう?と悶々と考える時間が続き、色々な本を読んだり、一人悩んだりしていました。その後、どう言う経緯か忘れましたが、結局、他人が自分のことを好きになるかどうかは、自分にはコントロールできないものの、自分ぐらいは自分を好きになってあげないと、自分がかわいそうだなと思えたのがきっかけで、色々と見える世界が変わりました。

これはもちろん、友人関係だけではなく、恋愛関係なども含めて、少なくとも自分が納得できる自分になるために、どうありたいか、どうしたいか?を追求して行ったと言うことです。

今でも覚えていますが、ずっとサッカーだけをやってきて、高校で理系コースに入り、大学は工学部だった私の周囲には、あまり女性がいたことがなく、結構、難しい感じだったんだと思います。

その状況を打破するために、色々と考えて、アルバイトぐらいは女性の比率が高めのところでしてみたり、女兄妹がいると思われるぐらいには、女の人と普通に喋れるように色々と試行錯誤したことを覚えています。

これは、異性関係だけではなく、あらゆるところで前向きに努力を続けるきっかけとなりました。結局、自分が自分を好きになるためには、自分が納得できるまでいろいろなことに対して、努力をし続けるしかなく、それだけ努力を重ねられる自分であれば、自分も納得して自分自身を肯定できるようになるかなと思ったんだと思います。

その甲斐あってか、大学院に進学する頃か、はたまた就職して数年経った頃か、どのタイミングかは忘れましたが、私の自己肯定感は爆上がりし、ちょっと自身過剰なんじゃないかと思われるところまできました。

この辺りは、学生の頃の友人も驚いたみたいで、「明るくなったね。」とみんなが口を揃えて言っていたことを覚えています。

まとめ

  • 私が自己肯定感の低い状況から、どうやってそれを克服したのかを簡単にまとめておきました
  • これは自分自身の問題なので、他人を使って解消することはできないと考えています。よって、以前投稿した通り、自己肯定感の低い人が自分のことをコンテンツとして消化しようとしてきた場合は、外からはどうしようもないので、距離を取ることをお勧めしました
  • 諦めると言うことは、現在位置を明確にすることであり、そこからしか正しい方向への努力は始められないため、もし、自己肯定感の低さに悩んでいる人がいたら、まずはそれを認め、自分の進みたい方向を明確にし、その後、脇目も降らずにその方向に進んで行けば、気づいた時には自分が好きで仕方なくなっていると思います

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