【告知】IMD在校生がOnline Coffee Chatを開催@8/6(土)日本時間20時~22時

私の通ったIMDの在校生がOnline Coffee Chatを開催するそうです。

詳しくは、こちらの日本人Blogをご覧ください。

残念ながら(?)私は参加できませんが、普段分かりづらいIMDのことを知る良い機会ですので、興味がある方は是非とも参加してみてください。

【告知】IMD在校生がOnline Coffee Chatを開催@6/11(金)日本時間20時半~22時

私の通ったIMDの在校生がOnline Coffee Chatを開催するそうです。

詳しくは、こちらの日本人Blogをご覧ください。

IMD MBA Blogのご紹介

久々にFacebookにあるIMD MBA Almuni Club Japanを見てみたら、現役の学生から、Blogの宣伝に協力して欲しいとの依頼が出ていたので、ここに掲載しておきます。たまたまこのBlogにたどり着いた方で、IMD MBAがどんなところか興味がある方は覗いてみてください。

https://imdjapanclub.wordpress.com

Class of 2021は過去最多の8名が日本から参加しているので、きっと今まで以上にいろいろな視点から内部の情報を得られると思います。

駐在員としてどうパフォーマンスを出すか

はじめに

日系企業の海外駐在員は、主に二種類に分かれると言う話を聞きます。一つは、駐在期間をそれなりにやり過ごし、それなりに帰国していく人。もう一つは、駐在期間も日本にいる時と同様にバリバリに成果を出して、結果を残していく人です。私は後者を目指して日々仕事をしているのですが、この差がなぜ生まれてしまうのか、に関してメモしておこうと思います。

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近づき過ぎない方が見えることも確実にある

はじめに

自分では気がつかない、自分の特性がると言うのは、ジョハリの窓の話などもあり、まぁ納得はできるのですが、「なぜ自分にはその特性が備わっているのか?」と言うことに関して、少し閃いたので、記録しておこうと思います。

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Leap: How to Thrive in a World Where Everything Can Be Copied by Howard Yuを読んで

はじめに

私はビジネスマン兼投資家なので、読む本と言えばもっぱら、ビジネスの本か投資の本になります。今回は最近読了した “Leap: How to Thrive in a World Where Everything Can Be Copied” に関しての読書感想文です。本書では、色々なものがコピーされ、真似される中で、淘汰される企業と生き残る企業がある、その違いは何なのか?に焦点を当てたものです。

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海外送金に関する困りごとが解決しそうな気配がしてきた

はじめに

海外留学、海外駐在など、日本に帰国することが前提になっている私の様なサラリーマンは、その期日を迎えるにつれ、現地通貨が不要になり、最終的に給与支払いのタイミングによっては、給与1か月分が丸っと現地に残ってしまうことがあります。私も例にもれず、スイスにいたときの最後の給与が丸っとスイスフランとして残ってしまっていたのですが、うまい送金方法が見つからずにそのままになっていました。これに関して、一つアイデアが思いついたので記録しておきます。

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見やすくなった・・・・はず。

Profileに書いてある通り、このBlogはもともと私が作った3つの別々のBlogを統合したと言う背景があり、多くの投稿がUncategolizedに分類されるある種の自己矛盾を抱えていました。

この状況はいつかどうにかしないといけないなとは思っていたのですが、なかなか時間が取れずここまで来てしまいました。

そんな状況下で、昨日たまたまIMDの日本人卒業生(世界中に散らばっているので、ほとんどは日本外からの参加でしたが)での初Zoom Reunionをしたので一念発起して過去の記事のカテゴリー分けを整理し直しました。

私はもともと自分がMBAの準備をしているときにIMDの情報を日本で見つけるのがとても難しく、苦労したこのでどうにかしたいと思って、自分のBlogを立ち上げたと言う経緯もあり、この先もIMDの受験を考えている方が奇跡的に本Blogにたどり着いた際に,すぐに当時の私の情報が参照できたり、私にアクセスできたりするようにと思い、改めてカテゴリ分けを見直し、IMDおよびMBAPrepカテゴリを設けました。

もし、MBAを考えている方が万が一このBlogにたどり着いたとしてら、それも何かの縁なので、遠慮なくお声がけください。問い合わせフォームとかは特にないのですが、コメント欄に記入していただければこちらからご連絡させていただきます。

Sailing体験からのリーダーシップ

9/29-10/2にかけて、イタリアのPortfinoという港町で、SDA Bocconiというイタリアのビジネススクール主催、RolexスポンサーのConference & Regatta Competitionに参加して来ました。参加自体は、6月か7月ぐらいには決めていたので、そこから準備をする時間は十分にあったものの、旅行したり、まだ時間あるからいいだろ〜とかいつもの感じで過ごしていたら、結局練習をする時間がなくなり、ぶっつけ本番で臨むことになりました。

個人的な理解では、Sailingはスッキッパーの指示のもと、各ポジションにつく個人が全力で自分の仕事を行うことで、ボート全体としてもっとも効率的で確からしいルートを進み、他のボートよりも早く目的地へつくための、総合力を問われるゲームだと感じました。チームIMDは経験者2人(スキッパー)と初心者6人のほぼ初心者チームでかつ、国籍もメキシコx2、ブラジルx2、ロシアx1、スイスジャパンx1、ポルトガルx1、日本x1の多少ラテン系に寄りつつも基本的にはバラバラの混成チームでした。

コミュニケーション言語は基本英語なのですが、海の上なので人命に関わる事故が起こる可能性があることと、競技なのでかなり熱くなってしまうことがあるということで、時にローカル言語(主にスペイン語)が飛び交うこともしばしばありました。

この、クラスメートと一緒にSailingでしかもCompetitionに参加するという経験は、私に自己を振り返る新しい視点をもたらしてくれました。一つ目は、普段はあまり熱くなりすぎないように意識しているのですが、やはり競技スポーツという点と命の危険が隣り合う状況で甘えは許されないという点が、私の普段は人に見せない「熱く厳しい」部分を前面に押し出した点です。これには同じボートに乗っていたブラジル人もびっくりしたようで、「タカシがそんなに競技に入れ込む人間だとは知らなかったし、それに関しては本当に尊敬する」と行っていた程でした。二点目は、改めてリーダーとリーダーシップの違いを体感したことです。IMDに入ってから、リーダーシップとリーダーの違いに関して、コーチからアドバイスをもらったことがありました。簡単にいうと、リーダーは役割の事で、リーダーシップは自分のタスクを責任持ってゴリゴリ進めるためのもの。

今回のレガッタでは、リーダーは紛れも無くスキッパーだと思いますが、その他のメンバーもそれぞれ責任を持ってそれぞれの仕事にあたり、確実に行うためにリーダーシップを発揮する必要があるりました。そのためには、自分のタスクが全体においてどういう位置付けで、なぜそれをやる必要があり、うまくいかないとどうなるのか?など、色々と納得した上で、全力でタスクを進める。各タスクは連動しているため、周りとコミュニケーションを取りながら確実に進めないと、後続のタスクが遅れ、最終的にはボートが予定通りの航路で進めなくなるなど大きな問題に発展します。

あれっ、これってなんだか普段のプロジェクトマネージメントにそっくり。

今回のSailingでは素人ながらも、自分が問題でボートの進行を妨げるような事態には至らなかったものの、例えば自分のタスクがしっかりと理解できていなかったり、理解できていてもそれを体を使って表現できるだけ習熟していなかったりと、いくつか問題が発生しうるポイントは予測ができ、それらを確実に消化して本番に臨む、消化できなかった場合はできるまで周りを巻き込みながら消化する、ことがリーダーシップなんだなと改めて考えさせられました。

日本語は場の言語である

これは常々思っていたことなのですが、スイスに来て日常的に英語を話し、日本語を理解しない人たちに「これって日本語で何ていうの?」って言われた時に「的確な説明」をできないことが多く、やっぱりそうだよなと改めて思ったことなので一つの気づきとして書いておこうと思います。

「場の言語」という言葉をグーグルで検索すると「場の言語学」というワードがよく引っかかります。これは何かというと、物理学で言うところの「場の理論」例えば、重力場とか電磁場とかの様に「物体」とそれを取り囲む「環境」によって物体の挙動が規定されるという話を言語学にも応用している方々の研究成果だったりする様です。双方の専門家の方からしたら何と安直な説明なんだとお叱りを受けそうですが、私の理解もそんなもんなので流します。

で、この「場の言語学」が言うには、

欧米のポライトネスの考え方では、日本の敬語や待遇表現を理解することはで
きず、これと異なる「わきまえ」(井出
2006)という考え方が必要であることが明らかにさ
れてきた。その背景には、日本の文化の基底にある「場」を重視する考え方(城戸
2003
清水
2003
)があり、その場というものが日本語の文法や談話の構造に大きな影響を与えていると考えられる。場があることにより、状況やコンテクストに依存しなくても、主語を明示しないまま意思疎通に支障がないため、日常的に主語のない談話が交わされる。(出典:http://homepage2.nifty.com/jcla/japanese/2013/ws2013/ws1.pdf


ということらしいです。


私の着眼点とは微妙にずれていますが、概ね守備範囲は重なっていると思います。彼らは、「日常的に主語の無い談話」が交わされる理由は「場」があるためと主張しています。私の意図する日本語の「場の言語」性は「日本語において主語と述語を決めるのはその会話が行なわれている状況」であるということです。つまり、友人と話すときは「あれは俺が片付けておいたよ」という一方で、目上の人と話すときは、「あちらは私が片付けておきました」とか言います。会話をする二人の話者の立場が同じ場合、もしくは自分の方が目上の場合、一人称として「俺」を使うことができますが、目上の人と話している際に一人称で「俺」を使う人はいません。同じ様に「片付ける」という動詞をどう変化させるかも状況によります。この、主語及び述語を決定する状況を「場」と呼び、私は「日本語は場の言語である」と考えています。


例えば最近私がよく話す英語では、一人称は単数なら必ずIです。どんな時でも単数ならIです。二人称はyouです。ご想像に難く無いと思いますが、ここで一つ問題が発生します。クラスメートに「Iって日本語で何ていうの?」って聞かれた場合に何て答えましょうか?無難なのは「私」ですね。概して丁寧であることを嫌う人はいないので、誰に対しても目上でも目下でも「私」を使っている限りは問題は発生しませんね。実際に女性は誰に対しても「私」を使いますし。次に無難なのは「僕」ですかね。ビジネスシーンではちょっと問題ありですが、日常生活では特に不便は無いですね。なので、とりあえず「私」って教えておけば問題無いのは無いのですが、でもそれじゃ日本語っぽく無いというか、教える側として不誠実な気がしちゃって、どうも割り切れないでいます。主語だけでも無数にあるというのに、さらに述語もとなってしまったらもはや教える気も失せます・・・。


と思うと、英語は何て経済的な言語なんだろうとも思います。誰と話す時でも私はIで、あなたはYouです。IMDでは教授もFirstNameで呼ぶので、プログラムダイレクターやゲストスピーカーとして招かれたどっかのCxOですらFirstNameで呼んでしまいます。とてもシンプルですが最初はちょっと抵抗ありました。まぁ、最初だけですけどね。


さて、この難解な「場の言語」たる日本語ですが、一対一で話をしているケースでは「場」が変わることもなく、一度認識してしまえばその場に沿った言葉を使えば良いのでもしかしたらうまく話せるかもしれません、しかし、会話というものは往々にして三人以上の複数人で行うことが多く、その際は自分とその他のメンバー個々人との関係性を考察し、適切な言葉を選ばなければならず、これはもはやネイティブのみぞ達成できる達人の境地なのかもしれません。否、ネイティブですら正しく日本語を操れていないことの方が多いのかもしれません。プライベートであれば、どちらかに寄せ切ることで違和感を取り除くことも可能かもしれませんが、ビジネスシーンで自分が丁度ヒエラルキーの真ん中あたりにいた場合、話す相手によって言葉を変えて・・・。考えただけでも頭が痛くなります。故に、会ったことはありませんが、ビジネスシーンで自分がヒエラルキーのど真ん中にいる状況で見事に日本語を操れるノンネイティブは尊敬して止みませんし、ただ流暢に日本語を話せるノンネイティブの方に会うだけでも相当な勢いで尊敬してしまします。


だいぶ話が逸れてしまいましたが、結局のところ日本語は話をする状況(主には誰とどこで)に依って同じ意味でも選ぶ言葉が変わり、それを規定する状況のことを私は「場」と呼び、それにより言葉が規定されるため、「日本語は場の言語」であると考えます。